虚業とはどこまでのことを言うのか?

世の中のほとんどの職業が虚業ではないかというところまでは、論じました。


さて、虚業ってなに?っていうところのデリケートのお話をしたいと思います。

僕は現在は、お笑い芸人をしておりまして、他人のことをどうこう言えない、まぁ、虚業やなあと自分でやってて思うわけなんです。


で、虚業っていうのは、本来必要ではない仕事っていうことです。


で、必要じゃないなんて言われたら憤慨する人もいると思うので、言葉がもたらすこのくだらないすれ違いについて、今回はお話をしたいと思います。


鍵屋さんは、必要?

これで必要かそうでないかの大げんかをすること自体がナンセンスなんですね。

どのレベルで言ってるかによるのです。

お釈迦様の法話のお話を思い出してほしいのですが、泥棒がいなければ、鍵屋さんはいらないですよね。


このタラレバの世界、あるいは、人間がロクデモナイことを前提としてない世界では、鍵屋さんは不要です。


世の中が殺伐としていなければ、お笑い芸人なんて不要です。


でも、米を作ってくれる人がいないと命は困ります。僕の考えでは、命にまつわる仕事をしている人が本来、世の中に必要なことをしてくださっていると思うのです。

医者もそう。家を作る人もそう。どの時代だって、それは必要とされているんです。

この根源的に必要な職業は、僕は敬われるべきだと思っています。だから、ちょっと売れたからって、鼻くそみたいな音楽を作ってるミュージシャンがイキってるのを見るとムカムカします。


てなわけで、みんな、虚業のほうにチヤホヤする変な世の中です。僕は、根源的に必要な職業ではなく、こちらが勝手にやりたいという欲望でお笑いを作っているので、せめて謙虚であれと、自分に言い聞かせています。


僕は自分のことをよく天才といってますが、とても謙虚で我ながら惚れ惚れします(笑)。

天才と自分で言うことがどれだけ謙虚なのかということを、また機会があれば真面目にお話したいと思います。


次回は、重要な考え方なんですが、言葉の相対性について、詳しく語りたいと思います。将棋の羽生名人に登場してもらいます。