虚業だらけの世界

さて、猿の頃の仕事論は非常にシンプルで清々しいですね。

やらなあかんことはないで。でも、やらな飯食われへんだけやで。


その程度のものです。

人間の仕事は、なぜこんなにもややこしくなってしまったのか。ここから始めたいと思います。


仏教の法話の中でこういうのがあるようですので、ざっくりそこから引用。思い出しながらの雑な文ですので、正確さを求める方は各自で調べてくださいませ


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むかしむかし。人間は、1日に一回木の実を一個取りに行き、その一個を毎日食べて暮らしていました。


ところがある日、怠け者が、一回で一個だけとるのは、面倒臭いので、明日の分もとろうと、木の実を二個とるようになりました。


するとそれを見ていた人間が、俺もそうしようと、1日に二個とるように。

 

みんなが真似をしはじめ、1日に二個、三個と、とる量が増えていき、木の実が木からなくなってしまいました。


そのため、奪い合いが起きるので、蔵を作る人が現れました。蔵を作る人、泥棒を取り締まる警察官、倉庫の鍵を作る鍵屋さん、窃盗のために人を殺す殺人犯、ルールを作る政治家、それまでは必要なかったたくさんの職業がうまれました。

 

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ざっとこういうお話。これは僕は非常に正しいと思うのです。お釈迦様が考えたこととは別で、僕も昔から、この世の中のほとんどの職業は虚業なのではないかと思っていました。


だって、色んな職業において、イノベーションが起こり、昔なら500人でやっていた仕事が5人で、みたいに効率化されているのです。なら、残りの495人は、別に働かなくてええやんってわけにはいきません。

一人に一個職業は必要よね、という呪縛から我々は逃れられないのです。
「お前、働かへんのやったら、俺も働かへん」ってなるか、「働かへんやつはしばきたい」となるからですね。


兎にも角にも、世の中のほとんどの職業は、本来は虚業で、いらんことしてるか、あってもなくてもええよねレベルのことをしてるわけです。

虚業の“虚”とかいて、虚しいと読めますよね。そうなんです。だから、みんな虚しいのです。


一人に一個の職業が絶対必要という変な呪縛があるので、水素水が体にええとか、マイナスイオンがどうたらこうたらとか、嘘だろうが、なんだろうが、無理矢理にでも需要を生み出す世の中になります。需要になりさえすればなんでもよくなります。


日本の高度経済成長のひとつのきっかけとなったのは、皮肉なことに朝鮮戦争でしたよね。いわゆる朝鮮特需というやつです。

別の国で戦争が起こると、直接は関係ない国が儲かったり。

なんとまあ、ろくでもない世の中なんでしょう。

そりゃ、仕事が虚しいし、苦しいのは、当たり前です。虚業が多いんやもん。前回の猿の仕事論を読んでスッキリしなかった人は、今回の分はしっくりきたのではないでしょうか。

 

虚業の話で、昔バイトでやっていたテレアポの話が分かりやすいので、次回そのお話をしたいと思います。